「平氏」と「平家」の違い|「平家」はあるのに「源家」がない理由

「平氏」と「平家」の違い|「平家」はあるのに「源家」がない理由 歴史ミステリー(江戸・幕末編)

平氏と平家の違い|「平家」はあるのに「源家」がない理由

日本史では「平氏」「源氏」の名前がよく出てきます。
「平氏」といえば平清盛、「源氏」といえば源頼朝が特に有名ですね。

「平氏」といえば平清盛、「源氏」といえば源頼朝が特に有名

ところで、「平氏」には「平家(へいけ)」という呼び方もあります。
一方、「源氏」には「源家(げんけ)」という呼び方はありません。
その理由を解説しますね。

「平家」とは、平清盛の一族だけを指す呼び方

「平家」とは、平清盛の一族だけを指す呼び方です。
つまり、「平家」とは「平氏」の中の一部(平清盛の一族)だけを指している呼び方です。

なぜ「平家」と呼ばれるようになったのか?といいますと、平安時代の「保元・平治の乱」で勝利したのが平清盛で、その後武家政権のトップに君臨し、強大な権力を手に入れたからです。

平清盛は「保元・平治の乱」で武家政権のトップに君臨した!

「平家(平清盛の一族)にあらずんば人に非ず」
という言葉が残っていますが、いかに平清盛が強大であったのかを理解できます。

だから、「平家物語」も「平清盛の一族」について書かれた書物であり、「平氏」全般の物語ではありません。

平家にあらずんば人に非ず

その後、「平家」は源平合戦で滅びますが、滅んだのはあくまで「平家」であり、その他の「平氏」は全国各地で広がりを見せていきます。


「源家(げんけ)」がない理由

平清盛は大活躍しましたが、鎌倉幕府を開いた源頼朝もおおいに活躍しました。
そういう意味では、源頼朝一族を「源家(げんけ)」と表現してもいいのでは?と感じるかもしれませんが、源頼朝の死後は事実上北条氏が実権を握ったため、インパクトが弱くなったのかもしれませんね。

ちなみに、北条氏は「平氏」の一族です。

源平合戦は「平氏vs源氏」ではなかった!?

源頼朝が「平家」を滅ぼした一連の戦いを「源平合戦」といいますが、源頼朝の家臣には「平氏」も大勢いました。

【平氏と平家の違い】源頼朝の家臣には「平氏」も大勢いた!?

「なぜ、同じ平氏同士で戦うの?」と感じるかもしれませんが、当時の戦いは「関東の武士勢力vs京都の中央政府」という図式でした。
「関東の武士勢力」のトップがたまたま源頼朝であり、「京都の中央政府」を牛耳っていたのがたまたま平清盛だったので「平氏vs源氏」というイメージがつきましたが、実は「関東vs京都」の戦いだったのです。
だから、源頼朝の元にも多くの「平氏」がいたのです。

坂東平氏(ばんどうへいし)のはじまり

源頼朝は関東で挙兵し、多くの「平氏」が頼朝の元に集まりました。
このように、関東を拠点にする「平氏」はとても多かったのです。
そこで、関東を拠点にする「平氏」が多かった理由を説明します。

平安時代に平清盛をはじめとする「平氏」が台頭しましたが、そこで貴族になった者は少数で、それ以外の多くの「平氏」は全国に散らばっていき、各地で領地を所有し、武士となりました。

その時、周りの人の苗字が全員「平」では区別がつきにくいので、それぞれの領地の名前(地名)を苗字にすることにしました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てくる「三浦氏」や「千葉氏」などです。
彼らは「関東地方の平氏=坂東平氏(ばんどうへいし)」と呼ばれました。

源頼朝の元で活躍した坂東平氏 三浦義澄・上総広常・千葉常胤・畠山重忠・梶原景時・土肥実平

「平家」のはじまり

一方、伊勢国(三重県)で武士となった平氏一族は朝廷に留まり、苗字を名乗らずに「平」という姓のままで朝廷に仕え続けました。
平清盛の一族です。
だから、平清盛の一族は「伊勢平氏」とも呼ばれます。

「忠盛塚」伊勢平氏発祥伝説地(三重県津市)

ちなみに、朝廷では藤原氏を「藤(とう)家」、菅原氏を「菅(かん)家」、大江氏を「江(ごう)家」などと呼んでいましたので、伊勢平氏は「平(へい)家」と呼ばれるようになりました。
これが「平家」のはじまりです。

というわけで、「三浦氏」や「千葉氏」は「平氏」ではありますが、「平家」ではありません。

平氏も源氏も天皇の一族だった

もう少し時代を遡ると、「平氏」も「源氏」も元々は天皇の一族でした。
一般的に、「平氏」は桓武天皇の末裔なので「桓武平氏」、「源氏」は清和天皇の末裔なので「清和源氏」と呼ばれます。

「平氏」は桓武天皇の末裔、「源氏」は清和天皇の末裔

「平氏」や「源氏」のように、元々皇族だった人たちが家臣になることを「臣籍降下(しんせきこうか)」と言いますが、天皇には苗字がないため、臣籍降下した際に付けられた苗字が「平氏」や「源氏」だったということです。

また、臣籍降下した一族は「平氏」「源氏」以外にも「藤原氏(ふじわらし)」、「橘氏(たちばなし)」という一族がいて、この四姓を「源平藤橘 (げんぺいとうきつ)」と呼びます。

源平藤橘(げんぺいとうきつ)平氏・源氏・藤原氏・橘氏

「藤原氏」は大化の改新で活躍した中臣鎌足の末裔、「橘氏」は飛鳥時代の橘三千代・橘諸兄親子(皇族)の末裔と言われています。

まとめ(超個人的見解)

このように、「平氏」や「源氏」の起源を知ると、日本史がとても理解しやすくなりますよね。
特に、大河ドラマは楽しく視聴できそうです。

タイトルとURLをコピーしました