【歴史上人物の子孫・末裔】である有名人・芸能人8選 その1
歴史上人物の子孫・末裔である有名人・芸能人をまとめてみました。
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吉川 元春(きっかわ もとはる)1530年~1586年・吉川 晃司
毛利三兄弟の次兄。
毛利元就の次男で、吉川家に養子として送り込まれました。
生涯76戦し、一度も負けなかった不敗の名将。
各地で織田信長軍と戦い続けたことでも有名です。
吉川晃司さんは、吉川元春の末裔ということなので、元春の父・毛利元就の末裔ということにもなります。
伊達 政宗(だて まさむね)1567年~1636年・伊達 みきお
「独眼竜政宗」として有名。
17歳で奥州伊達氏の家督を継ぐと、19歳で南奥州を制覇。
仙台藩初代藩主となり、東北の繁栄を築きました。
豊臣秀吉や徳川家康が最も恐れ、生まれるのが10~20年早ければ天下人となったかもしれないと言われています。
伊達みきおさんは、父から「伊達政宗の分家の末裔」と言われていたそうです。
それを検証するために、伊達さんがNHKの「ファミリーヒストリー」に出演したところ、伊達政宗の弟・伊達宗行が先祖ということがわかりました。
徳川 家康(とくがわ いえやす)1542年~1616年・市川 みか
ご存知、江戸幕府の初代将軍。
市川みかさんの母方の先祖が尾張名古屋藩徳川家2代当主である徳川光友。
徳川光友は徳川家康の孫ですから、市川みかさんは徳川家康の末裔ということになります。
徳川家康の子孫(芸能人・芸人・有名人)をもっと知りたい方は↓こちらをご覧ください。
明智 光秀(あけち みつひで)1528年~1582年・クリス ペプラー
織田信長から絶大な信頼を得て、低い身分から一国一城の主へと出世した戦国武将。
しかしその後、「本能寺の変」で織田信長を自害に追い込み、天下を狙ったものの、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、その後自刃。
日本史に大きな影響を与えた人物に一人です。
J-WAVEでナビゲーターを務めるクリス・ペプラーさんは、祖母から「あなたは明智光秀の末裔なのよ」と言われていたそうです。
そのことをTBSのバラエティー番組「7時にあいましょう」で検証したところ、光秀の直系の子孫であることが判明しました。
岩倉 具視(いわくら ともみ)1825年~1883年・加山 雄三
公武合体論を唱え、和宮降嫁(かずのみやこうか)に尽力したが、その後尊王討幕派と結び王政復古のクーデターを成功させた公家出身の政治家。
明治維新の十傑の1人です。
加山雄三さんは、岩倉具視の玄孫(やしゃご=ひ孫の子供)に当たります。
同様に、女優の喜多嶋舞さんも岩倉具視の玄孫(やしゃご)です。
蜂須賀 正勝(はちすか まさかつ)1526年~1596年・釈 由美子
戦国時代~安土桃山時代の武将、大名。
豊臣秀吉(羽柴秀吉)の股肱の家臣。
播磨龍野城主。徳島藩主蜂須賀家の家祖。
蜂須賀正勝の末裔が四国に渡り出家したため、僧侶の通称である「釈」に改名しました。
その末裔が釈由美子さんの先祖ということなので、釈さんも蜂須賀正勝の末裔と言われています。
松平 定信(まつだいら さだのぶ)1758年~1829年・寿美 花代
松平定信は江戸時代中期の大名、老中。
陸奥国白河藩の第3代藩主。
1787年から1793年まで寛政の改革を行なったことでも有名ですね。
高島政宏・政伸兄弟の母である寿美花代(すみ はなよ)さん(元宝塚歌劇団の星組男役トップスター)は旧姓が「松平」で、松平定信の末裔です。
ちなみに、松平定信は徳川吉宗(江戸幕府8代将軍)の孫です。
その徳川吉宗は徳川家康の曾孫(ひまご)なので、寿美花代さんは徳川家康の末裔でもあります。
大久保 利通(おおくぼ としみち)1830年~1878年・植村 花菜
大久保利通は薩摩藩士から身を起こし、幕末から明治前期にかけて政治家として日本の近代化に尽力しました。
「トイレの神様」で有名な植村花菜さんの祖母の故郷は鹿児島県沖永良部島で、島の親戚から家系図を見せられ、大久保利通の異母姉妹の末裔であることがわかりました。
大久保利通の父・大久保次右衛門が沖永良部島に赴任してきた時にめとった島妻(現地妻)との間に生まれたタケの孫が、植村花菜さんの祖母・和嘉さんの父親であることが家系図に記されていたそうです。