「天皇」と「上皇」の違い・どちらが偉い?を徹底解説!
歴史の教科書や歴史番組を見ていると、「天皇」と「上皇」という2つの呼び方が存在しますが、「天皇」と「上皇」はどちらのほうが偉いの?
「天皇」と「上皇」の違いは何?
と感じたことはありませんか?
そこで今回は「天皇」と「上皇」の違いについてわかりやすく解説します。
権力的には天皇のほうが偉い
まず、「上皇」とは何か?といいますと、「天皇」が息子(など)に皇位を譲った後に付けられる呼称です。
だから、ほとんどの場合「天皇」のお父さんが「上皇」ということになります。
企業の社長が子供に会社を譲った場合、子供が「社長」で、親が「会長」になるようなものです。
それでは、「天皇」と「上皇」はどちらのほうが偉いのか?といいますと、権力的には「天皇のほうが偉い」ことになります。
「天皇=日本の統治者」ですからね。
でも、だからといって、「上皇」が「天皇」にへりくだるようなことはありません。
天皇家においては、「上皇=親」ですから、親に敬意を表すのは当然ですよね。
「天皇」と「上皇」が同時に存在するのは近代日本で初
ご存知の通り、今の日本には「天皇」と「上皇」が同時に存在しています。
明治以降の近代日本では初めてのことです。
明治以降の日本では常に「天皇」が崩御(亡くなること)された後に皇太子(息子)が天皇に即位していたため、「天皇」しか存在しませんでした。
ところが、平成天皇(今の上皇)は「生前退位=生きている間に皇位を譲ること」したため、今の日本には「天皇」と「上皇」が同時に存在することになったのです。
ちなみに、日本の歴史上、初めて「上皇」になったのは、女性天皇である持統天皇(じとうてんのう)です。
ご年配の方にとっては「上皇」の顔を見られることは何よりの喜びですし、今上天皇(今の天皇)も若いうちから公務を行なうことができるので、「生前退位」は素晴らしい決断だったと思います。
ただ、1つだけ注意すべきことがあります。
それは、「天皇」と「上皇」が同時に存在することで生じる「二重権威」問題です。
例えば、国家行事で「天皇」と「上皇」が同時に現れると、そこには絶対的な存在が2人いるという印象を与えてしまいます。
これを避けるために、公務においては「上皇」はほぼ参加しないことになっています。
私たち国民からすれば、お二人の顔を見られるだけで幸せなんですけどね。
過去には「二重権威」問題による争いもあった
しかし、過去の歴史においては、「二重権威」問題による争いも少なくありませんでした。
特に有名なのが白河上皇(しらかわじょうこう)です。
白河上皇は皇位を譲った後も「院政(いんせい)」を行なって、権力を握り続けました。
「院政」とは、「上皇」になった後も家産である荘園群を譲らず、家長という私的立場で「天皇」よりも優位な立場で朝廷内の人事権を掌握し、公家たちを服属させた政治の形です。
これにより権力を握った白河上皇は、政治の実権を藤原氏から取り戻すことに成功しました。
このように、「天皇」「上皇」に関わらず、実質的な最高権力者を「治天の君(ちてんのきみ)」と呼びます。
また、過去には「保元の乱(ほげんのらん)」のように、「天皇」と「上皇」の権力争いによる戦いもありました。
このような歴史的背景があったため、明治維新後、「天皇の生前退位は認められない」というルール(皇室典範)が出来上がりました。
もちろん、今の「天皇」と「上皇」においては「二重権威」問題による争いはあり得ないでしょう。
事実、秋篠宮様も「あり得ない」と断言されています。
ただ、公務においては外国からの来賓もいますから、混乱を避けるために「上皇」はほぼ参加しないことになっているようです。
戦いに敗れた「上皇」たち
日本の歴史において、今まで「天皇」は124人で、そのうち59人が「上皇」となりました。
歴代天皇の半数近くが「上皇」になっているわけです。
もちろん、ほとんどの「上皇」は争いなどをせず、穏やかに暮らしていましたが、退位した後も権力を握り続け、結果的に敗者となったケースもあります。
●810年の「薬子(くすこ)の変」で嵯峨天皇と戦って敗れた平城上皇(へいぜいじょうこう)
●1156年の「保元(ほげん)の乱」で後白河天皇と戦って敗れた崇徳上皇(すとくじょうこう)
●1221年の「承久(じょうきゅう)の乱」で鎌倉幕府と戦って敗れた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
日本史の教科書に載っている「○○○の乱」「○○○の変」という戦いの多くは「天皇」と「上皇」の争いを表しています。
「上皇」の後に出家して「法皇」になるケースも
さらに、「上皇」の後に出家して「法皇」になるケースもあります。
歴代天皇124人のうち35人が「法皇」となっていますから、こちらもまあまあ多いですよね。
出家の目的は権力から離れ、静かに余生を送ることですが、白河上皇や後白河上皇は「法皇」になった後も権力を握り続けました。
本当に権力が好きなんですね(笑)。
「天皇」と「上皇」を英語で表すと?
「天皇」を英語で表すと「Emperor(エンペラー)」です。
「皇帝」という意味ですね。
それでは「上皇」を英語で表すとどのように表記するかといいますと、「The Emperor Emeritus」と表します。
「Emeritus(イメリタス)」は、大学の「名誉教授」でよく使われます。
「名誉教授=professor emeritus」となりますから、「The Emperor Emeritus」とは「名誉天皇」という意味ですね。
また、上皇の正式呼称は「太上天皇(だいじょうてんのう)」です。
「譲位により皇位を後継者に譲った天皇」という意味です。
まとめ(超個人的見解)
世界の歴史を見ると、外国にも多くの王朝がありましたが、日本の「上皇」のような存在はほとんどありません。
退位した後に「上皇」のような称号を与えられる王朝はほとんどないということです。
そういう意味では、「上皇」は日本独自の称号ということになります。
皇位を譲った後も敬意を表したいという日本人ならではの文化といえるでしょう。
また、「上皇」と聞くと、後白河上皇や後鳥羽上皇など、権力争いをしてきた印象からネガティブなイメージを抱く方もいるかもしれませんが、ほとんどの「上皇」は穏やかに暮らしていました。
そして今、平成天皇が光格天皇(こうかくてんのう)以来約200年ぶりの譲位(生前退位)という大英断をすることにより、新しい形の「天皇」と「上皇」が誕生しました。
精力的に公務をこなす「天皇」と、それを見守る「上皇」という構図により、私たち日本人はますます安心して暮らすことができるようになったような気がします。