49歳で死亡した歴史上の人物(戦国武将や偉人)が多い理由を徹底解説

49歳で死亡した歴史上の人物(戦国武将や偉人)が多い理由を徹底解説 歴史ミステリー(その他)

49歳で死亡した歴史上の人物(戦国武将や偉人)が多い理由

歴史上の偉人たちの足跡を追っていると、常に不思議に感じることがありました。
それは、49歳で死亡した歴史上の人物(戦国武将や偉人)が多いということ。
特に有名な偉人としては、織田信長、上杉謙信、西郷隆盛、大久保利通など、錚々たる顔ぶれの偉人たちが、奇遇にも「49歳」で亡くなっているのです。

そこで、49歳で亡くなった歴史上の人物を一覧表にまとめてみました。

49歳で死亡する歴史上の人物(戦国武将や偉人)が多い理由を徹底解説

この一覧表を作成するにあたり、ある悩みが生じました。
それは「数え年」か「満年齢」のどちらで統一するかという問題です。

「数え年」とは、生まれた時点で1歳として、正月が来るたびに年が増えていく数え方です。
だから、例えばある年の12月31日に生まれた赤ちゃんは、翌日には2歳になるということです。
「満年齢」は、生まれた時は0歳で、誕生日が来るたびに1歳ずつ増えていく数え方です。
現代の日本で一般的に用いられるのは「満年齢」ですが、昔の日本では「数え年」が主流でした。

いろいろ悩みましたが、結論としては「数え年」と「満年齢」の両方を表示することにしました。
それが一番わかりやすいですからね!
そこで、一覧表を作成したところ、「数え年」の49歳で亡くなった人と「満年齢」で亡くなった人が混在していました。

なお、一覧表の「生まれた日」と「死んだ日」の月日は、ウィキペディア(Wikipedia)の情報を元にしているので、旧暦の月日である場合もあります。
ただ、旧暦でも「生まれた日」と「死んだ日」の月日がわかれば、「数え年」と「満年齢」を計算できるので問題なしと判断しました。

ここで注目すべきは、五代友厚です。
「数え年」では50歳で死亡していますが、「満年齢」では「48歳」となりました。
また、真田幸村も49歳で亡くなったという噂を聞いたことがありますが、こちらも「49歳」ではありませんでした。
あと、中国の初代皇帝である秦の始皇帝も「49歳」で亡くなったという説があります。

それではなぜ、「49歳」という同一年齢で死ぬ人が多いのか?
「49歳」という年齢には何か不思議な運命が隠されているのか?
その「49歳の謎」を調べてみました。


戦国時代の平均寿命は何歳?

まず最初に気になったのは、それぞれの時代の人たちの平均寿命です。
「人生100年時代」と言われる現代において「49歳」はちょうど人生の折り返し地点、人生の前半部分の最後の1年ということになります。
そんな現代人にとって「49歳」はまだまだ若々しい人が多いので、「49歳=寿命」とは考えにくいですよね。

そこでまず戦国時代を調べてみると、当時の平均寿命は武士が42歳くらいで、一般庶民は30歳くらいであることがわかりました。
どちらもかなり寿命が短い印象ですが、当時は生まれたばかりや幼いうちに亡くなる人がとても多かったので、その分平均寿命が下がっているようです。

戦国時代の平均寿命は武士が42歳、一般庶民は30歳

しかし、なぜ一般庶民よりも武士のほうが平均寿命が長かったのでしょうか?
どちらかというと、武士のほうが常に危険な状況にあるので、平均寿命が短い気がしますよね。
その答えは、武士のほうが栄養面や医療面で恵まれていたからです。
たしかに、戦国時代は一般庶民より武士のほうが偉そうな風潮がありますから、世の中から重宝されていたのかもしれません。

また、武士たちは健康面にも気をつけていたようです。
本業が「戦うこと」ですから、刀や弓、武術など、常に体を鍛えていたため、とても健康体でした。
さらに、食事は「一汁一菜」が基本で、ご飯は玄米や雑穀が多かったようです。
この質素な食事も健康面では良かったのでしょう。
また、彼らは毎朝3時~5時に起床し、夜8時には就寝していました。
「早寝早起き・運動・質素な食事」
この3つの要素が揃っていたため、一般庶民より武士のほうが長生きしたのでしょう。

そこで、「49歳の謎」と比較します。
「戦国時代の武士の平均寿命=42歳」という視点で考えると、49歳で亡くなった武将たちはどちらかというと長生きだったという結論に至ります。
「若くして亡くなった人たち」というイメージではないということです。

江戸時代の平均寿命は何歳?

それでは、西郷隆盛や大久保利通が生きた江戸時代の平均寿命はどれくらいだったのか?といいますと、実は戦国時代とあまり変わりません。
(明治、大正時代でようやく44歳です)

一方、現代の日本人の平均寿命は男性が81.64歳、女性は87.74歳です。
戦国時代はもちろん、江戸・明治・大正時代とは大きな差がありますよね。
一体いつくらいから平均寿命が上がるようになったのか?といいますと、1900年(明治33年)で44歳、1950年(昭和25年)で61歳、1999年(平成11年)で81歳というふうに、平均寿命はここ数十年で急激に上がっているのです。

戦国時代、明治・大正時代、現代の平均寿命比較

その要因は、戦争がなくなったことと、医療の発達であることです。

当時の「49歳」は現代のどれくらいの年齢に相当するの?

次に、現代人の平均寿命(男性が81.64歳、女性は87.74歳)と比較した場合、「49歳」は現代のどれくらいの年齢に相当するのかを計算してみました。

戦国時代の武士の平均寿命42歳:49歳 = 現代人の男性の平均寿命82歳(四捨五入):96歳

戦国時代に「49歳」で亡くなった人たちは、現代の「96歳で死亡」と同じイメージということです。
「まあまあ長生きしたよね」という印象です。
ちなみに、戦国時代にはもっと長生きした武将もたくさんいます。

毛利元就…74歳
徳川家康…72歳
伊達政宗…68歳
豊臣秀吉…61歳
前田利家…59歳

※全て「満年齢」で表示

彼らの年齢を先ほどの計算式で計算すると…

毛利元就…74歳(144歳)
徳川家康…72歳(141歳)
伊達政宗…68歳(133歳)
豊臣秀吉…61歳(119歳)
前田利家…59歳(115歳)

となります。
毛利元就はなんと144歳!
驚くべき長寿だったということです。

【49歳で死亡する歴史上の人物】現代の平均年齢で計算し直すと…毛利元就144歳・徳川家康141歳・伊達政宗133歳・豊臣秀吉119歳

織田信長の「人間五十年~♪」という歌と「49歳の謎」の関係性

大河ドラマなど歴史ドラマを見ていると、本能寺の変で織田信長が自刃するシーンでは必ずといっていいほど、「人間五十年~♪」と舞を舞うシーンが出てきます。
この舞の歌と「49歳の謎」には何か関係性があるのでしょうか?

人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

「人間五十年~♪」という歌は、民俗芸能「幸若舞(こうわかまい)」の演目「敦盛(あつもり)」の一節で、信長が好んで謡っていたようです。
ちなみに、「人間五十年 化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」という一節から、当時の人々の寿命を50年と謡っているものだと思っている方も多いと思いますが、それは間違いです。
これは、「人間界の50年は化天では一日のことであり、人の世の時の流れは儚いものである」という意味です。
「化天」とは、神々が住む天界の1つで、この世界の寿命は8,000年と言われており、人間界の50年は化天では24時間(一日)に過ぎないほど短く儚いということを表しています。
つまり、「人間五十年~♪」のフレーズも「49歳の謎」とはあまり関係がなさそうです。

仏教の「四十九日」や厄年と「49歳の謎」の関係性

私たち日本人は「49歳」の「4」と「9」という数字に少し不吉なイメージを抱くかもしれません。
「死(4)と苦(9)」ですね。
また、仏教の世界では「四十九日」という区切りがあるので、このあたりと「49歳の謎」に何か因果関係があるのでは?と考える人も多いのではないでしょうか。
そこで、仏教の「四十九日」について解説したいと思います。

仏教の「四十九日」とは、人が死んだ後49日目に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まることを意味しています。
つまり、生まれ変わる時代や場所が決まる日ということです。
というわけで、仏教の「四十九日」と「49歳の謎」も因果関係はなさそうです。

あと、49歳は厄年にも当てはまりません。
厄年とは、数え年で男性の25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳・61歳になる1年間のことなので、こちらも無関係です。

現代には「49歳の壁」がある

その一方で、現代においては「49歳の壁」というものがあるようです。
若くもなく、年寄りでもない年齢から将来への不安を感じる年齢といわれています。
これは、日本だけでなく、海外でも同じ現象が見られるようです。
世界規模で行なわれた幸福度調査で、年齢別の幸福度を調査したところ、「最も不幸感が高い」のが「49歳」でした。
事実、「49歳の時にとても苦労した」と言う人が多いそうです。

なぜだと思いますか?
まず、49歳の頃に更年期を迎える人が多く、体の不調と共に心が不安定になる人が多いようです。
その不安感が不幸感につながっているのかもしれません。

悩み多き49歳…

また、現代の「人生100年時代」で考えれば、49歳はちょうど落ち返し地点の最後の1年となります。
つまり、これから人生の後半戦が始まるわけで、いよいよ「人生の終わり」に向かって歩き始める年齢ということから、死への恐怖感を感じているのかもしれません。

まとめ(超個人的見解)

「49歳の謎」を、「当時の平均寿命」「織田信長の 人間五十年~♪ のフレーズ」「仏教の四十九日」「49歳の壁」などから考察してきましたが、結論として「49歳」に何か不思議な運命が隠されているわけではないことがわかりました。
事実、49歳に限らず、その前後に死んでいる偉人もたくさんいますからね。

ただ、戦国時代にしても明治維新の時代にしても、彼らの意思によって「死」を選んだ可能性はあると思います。
代表的なところでは、西郷隆盛が西南戦争で自刃する際、「もう、ここでよか」と言い残したと伝えられています。
「もう、ここでよか」とは、鹿児島弁で「もう、このあたりで十分だよ」という意味です。
平均寿命は過ぎたし、今まで多くの戦いで十分満足した。
だから、もうこの辺りで死んでも悔いはないという気持ちがあったのではないでしょうか。

人は「絶対に生き抜いてやる!」と思えば、生き残る方法はたくさんあります。
敵に許しを請い生き延びる方法もありますし、全力で逃げることもできたかもしれません。
でも、それを潔しとしなかったからこそ、彼らは「死」を選んだのでしょう。
「もう何も思い残すことはないよ」という人生の充実度を表しているのかもしれませんね。

西郷隆盛 最期 「もう、ここでよか」

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