西郷星とは?|西郷星は火星だった!?
歴史の中にはまるでドラマのような出来事があります。
それは、明治維新の立役者である西郷隆盛にまつわる物語です。
明治10年(1877年)、西南戦争の混乱期に夜空に赤く輝く星が現れました。
すると、「赤い星の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた!」という噂が広がり、人々はこれを西郷星(さいごうぼし)と呼びようになりました。
この西郷星に祈れば願いが叶うという噂も生まれました。
西南戦争において、西郷隆盛がまさに最後の戦いをしようとしていた頃のことです。
九州各地を転戦した西郷は鹿児島に戻り、同年9月1日に城山に立てこもり、9月24日に死を迎えました。
…実は、この星は「火星」です。
明治10年は約15年に一度で起きる火星大接近の年だったのです。
当時の人々は、この星が火星であることを知らずに大騒ぎしたわけです。
なお、最接近時の9月3日には距離5,630万km、光度-2.5等級くらいまで輝いたそうです。
(光度は数字が少なければ少ないほど明るいので、-2.5等級はかなり明るい部類に入ります)
人々は心の奥底で賊軍の西郷隆盛を応援していた!?
当時、西南戦争において西郷隆盛は新政府と敵対していました。
政府と対立しているわけですから、西郷は「賊軍」となりますが、明治維新の立役者である西郷はずば抜けた人気があり、火星を西郷星に見立てのは、人々が西郷を惜しむ気持ちの表れだったのかもしれません。
また、この頃は土星も火星の近くに位置しており、西郷隆盛と共に背難戦争を戦った桐野利秋(きりの としあき)に因んで、土星は桐野星(きりのぼし)と呼ばれました。
▲西郷星と桐野星を描いた錦絵
表立って西郷を応援するわけにはいかないけれど、人々は西郷星を通して西郷隆盛にエールを送っていたのかもしれません。
加熱する西郷隆盛人気!
「西郷星」は錦絵にも描かれるようになりました。
あまりの人気に、錦絵は何種類も描かれて売り出されたそうです。
来日中の考古学者エドワード・モースの日記には次のように記されています。
西郷人気を表わすものは他にもあります。
明治11年2月6日付けの東京日日新聞には、上京したお年寄りが人力車に乗ろうとしたところ、車輪の内側に西郷の肖像画が描かれていたため、恐れ多いと乗車を取りやめたことが掲載されていますし、同年2月23日付けの朝野新聞には鹿児島の西郷、桐野らのお墓への参拝に人が絶えずやってくることを記しています。
さらに、東京では九代目市川団十郎が西郷隆盛に扮した 「西南雲晴朝東風(おきげのくもはらうあさごち)」が新富座で上演され大人気!
逆に、新政府や警察などへの不満は高まっていました。
福沢諭吉は「西郷の政府への反逆を認めないとするなら、 徳川幕府を倒した現政権の高官も国賊ではないか!」と、新政府を痛烈に批判しています。
西郷星、再び…
明治22年2月11日、大日本帝国憲法が発布されると共に、西郷隆盛は賊軍の汚名を解かれ、正三位の位が贈られました。
すると、これをきっかけにするように、「南州翁遺訓」などの書物が次々に出版され、再び西郷ブームが起きます。
そして驚くことに、この年再び夜空に赤く輝く星が現れました。
もちろん、この赤い星も火星です。
地球への火星の接近は定期的なものではありますが、明治10年と明治22年と、偶然にも西郷ブームが起きている年に赤く輝く星が現れたのです。
まるでドラマのような真実の話です。