坂本龍馬が暗殺されずに生きていたら?5つのもしも説
日本の歴史の中でも絶大な人気を誇る坂本龍馬。
1867年、近江屋(京都市)で何者かに暗殺されました。
その後、戊辰戦争が勃発し、江戸幕府は終焉し、薩摩・長州を中心とする新政府が誕生します。
さらに、西南戦争が起こり、日清・日露戦争、第一次世界大戦と、日本は戦争の時代に突入するわけですが、そんな激動の時代に「龍馬が暗殺されず、生きていたら?」という妄想(期待感)を抱く人は多いでしょう。
そこで、龍馬が生きていたら時代はどのように変わったのか?を書き記していきたいと思います。
その1 西郷と龍馬のツートップで日本を動かす!
坂本龍馬が生きていたら、西郷らと共に龍馬は新政府に入り、徳川慶喜を重用したはずです。
龍馬は慶喜を高く評価していましたからね。
同時に、龍馬と馬が合っていた西郷隆盛の権力も大きくなったでしょう。
現実の日本史では大久保利通がトップになったため、かなり強引に富国強兵が進められましたが、龍馬が生きていたら西郷と龍馬が新政府のツートップとなり、富国強兵のスピードはもう少し緩やかになっていたと思います。
特に、西郷は富国強兵には前向きではありませんでしたからね。
そうなると、日露戦争や日清戦争が起こることもなく、その後の第一次世界大戦に参加することもなかったかもしれません。
日本の歴史は大きく変わることになりますね!
その2 特に大きな変化はない…
歴史人物として人気がある坂本龍馬ですが、その人気は司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」によるところが大きく、実際はそれほど活躍していなかったという説もあります。
また、龍馬は土佐藩の脱藩下級武士ですから、そもそも新政府のメンバーになる可能性も高くはありません。
また、そのような立場でありながら、裏から西郷隆盛や木戸孝允への助言などを繰り返していれば、彼らから煙たがられ、結局「暗殺」の方向へいったような気もします。
勝海舟に学んだ龍馬の視野は広く、日本全体を見渡した助言ができると思いますが、それが仇となる可能性は高いですね。
その3 「三菱財閥」に対抗する「坂本財閥」で日本経済に貢献!
坂本龍馬と旧知の間柄であった岩崎弥太郎は実業家となり、その後三菱財閥を築いていきます。
そこで、龍馬が生きていたら、岩崎弥太郎よりも大きな財閥を築いていた可能性があります。
「三菱財閥」に対抗する「坂本財閥」です。
坂本龍馬も岩崎弥太郎も「戦争」や「政治」よりも、「ビジネス」への興味が高く、その能力が長けていますからね。
事実、龍馬は海援隊という海運会社をつくり、様々なビジネスをしていました。
もし、坂本財閥があれば、今頃私たちの身の回りの商品にも「SAKAMOTO」のロゴが多く見られたことでしょう。
「MITSUBISHI」のように。
その4 戊辰戦争で大活躍!被害は最小限にとどまる
坂本龍馬が生きていたら、戊辰戦争時に新政府軍として参戦し、「江戸城無血開城」では西郷と勝海舟の会談に龍馬が加わった(または仲介した)はずです。
龍馬は調整役として非常に優れていますし、西郷と勝海舟とは信頼関係でつながっていますからね。
事実、「薩長同盟」でも龍馬の調整能力が大きく貢献しました。
だから、現代の教科書では「龍馬は薩長同盟と江戸城無血開城という日本史上大きな分岐点といえる2つの場面で活躍した」と書かれていたはずです。
さらに、「江戸城無血開城」後は会津の松平容保や函館の榎本武明の元に走り、降伏をすすめます。
これにより、会津戦争や函館戦争が起きることはなく、戊辰戦争の被害は最小限にとどまったことでしょう。
その5 「自由民権運動」で大活躍!
明治維新後、板垣退助は後藤象二郎と政治結社「愛国公党」を結成し、国民が政治に参加できる体制を目指して「自由民権運動」を起こします。
自由民権運動とは、国民の政治参加を目指した運動で、板垣は一部の政治家に独占された明治新政府の政治のやり方を批判し、国民の選挙によって国会を開設すべきだと訴えます。
板垣退助が唱えた「自由民権運動」とは、まさに現代の選挙の在り方といえますね。
当然、龍馬も「自由民権運動」の考え方に賛同し、板垣退助や後藤象二郎と共に活動を始めます。
新政府にも影響力がある龍馬ですから、その後の日本の政治体制が大きく変わった可能性は十分にあります。
しかし、1882年、板垣退助は岐阜県で刺客によって襲撃されました。
その時に発した言葉「板垣死すとも自由は死せず」はあまりにも有名ですね。
このように、まだ政治基盤が不安定な時代ですから、龍馬が「自由民権運動」をしていたとしても、やはり暗殺されたような気がします。
番外編 龍馬は死ぬ時まで「もっていた男」だった!
当時、実は龍馬は病気にかかっていました。
妻のお龍から梅毒をうつされて、オランダ人医師から治療を受けていたのです。
それでも龍馬は明治維新のために活動をしていたのですが。
病気はかなり進行していて、前頭部が禿げ上がり、ちょん髷も結えない有り様でした。
梅毒は最終的に脳が冒される病気ですから、仮に龍馬が暗殺されなかったとしても、遅かれ早かれ亡くなっていたと思います。
そう考えると、龍馬は人生の絶頂期に暗殺されたともいえます。
明治維新において様々な活躍をして、最終的に暗殺されたから「悲劇のヒーロー」になれたのかもしれません。
また、龍馬の死因が「梅毒」であれば、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」も執筆されず、今ほどの人気はなかったような気がします。
つまり、良い意味で、龍馬は死ぬ時まで「もっていた男」だったということです。
まとめ(超個人的見解)
「もしも、龍馬が生きていたら?」ということで、いろいろな説を書き記してきましたが、個人的に一番現実的なのは「海外移住説」です。
元々龍馬はアメリカやヨーロッパなどの海外に憧れていましたし、新政府の政治の在り方を見て嫌気がさし、お龍と一緒にとっとと海外へ移住したような気がします。
もちろん、海外と日本を橋渡しにして貿易ビジネスをしつつ。
「これは俺が目指した日本ではない。後は勝手にやってくれ。俺は世界を目指す!」という言葉を残して…。