【豊臣秀頼の身長の謎】第69代横綱 白鵬よりも巨漢だった!
天下統一を果たした豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼。
秀吉が57歳の時に生まれた子なので、とても溺愛していたそうです。
お母さんは淀殿(茶々)です。
秀頼が4歳の時にお父さんの秀吉が病気で亡くなり、その後波乱の人生を歩むことになる悲劇のヒーローです。
豊臣秀頼の身長・体重は第69代横綱 白鵬よりも大きかった!?
豊臣秀頼はかなりの巨漢でした。
江戸時代に書かれた「明良洪範(めいりょうこうはん)」という書物には「秀頼の身長は六尺五寸(約197cm)、体重は四十三貫(約161㎏)」と記されています。
また、「長澤聞書」という大坂の陣の様子を記した文書にも秀頼のことを「世に無き御太り」と記されていることから、秀頼がかなりの巨漢(肥満体?)であったことは間違いないでしょう。
ちなみに、当時の男性の平均身長は158cmくらいでしたから、かなりの高身長ですよね。
それでは「身長197cm・体重161㎏」というと、一体どれくらいの巨漢なのか?といいますと、歴代のプロレスラーと比べてみました。
●ブルーザー・ブロディ…身長198cm・体重136kg
●坂口征二…身長196cm・体重130kg
●ジャンボ鶴田…身長196cm・体重130kg
●オカダ・カズチカ…身長191cm・体重107kg
●豊臣秀頼…身長197cm・体重161kg
プロレスの世界ではこの4人が秀頼と同じくらいの身長になりますが、体重は秀頼のほうが重いので、秀頼がいかに巨漢であったかが理解できます。
次に、歴代の人気力士とも比較してみました。
●第64代横綱 曙…身長203cm・体重233kg
●第68代横綱 朝青龍…身長184cm・体重154kg
●第69代横綱 白鵬…身長192cm・体重155kg
●豊臣秀頼…身長197cm・体重161kg
曙よりも少し小さくて、白鳳よりも少し重いイメージです。
体格的には白鳳が一番近いですね。
(白鳳をひと回り大きくした印象です)
いや~~~、それにしても大きいですね!
秀頼の肖像画を見ると、なんとなく気弱でほっそりしたイメージがありますが、白鳳と同じくらいの巨漢であったとは驚きです!
秀頼は秀吉(身長150cm前後)の子ではない!?
しかし、ここで1つの疑問が生じます。
秀頼の父親である豊臣秀吉の身長は150cm前後といわれており(140cm前後という説もあります)、「実は秀頼は秀吉の子ではなかったのでは?」という疑問です。
(本当のお父さんは家臣の大野治長や福島正則であるという噂もあります)
しかし、秀頼の母親である淀殿が高身長な女性でした。
当時の女性の平均身長が149cmの時代に、淀殿の身長は168cmであったというからかなりの高身長ですよね。
(現代でも高身長な女性の部類に入るでしょう)
そうなると、150cm前後の秀吉と168cmの淀殿には20cmほどの身長差があったことになるので、秀吉と淀殿は凸凹カップルといえますね。
また、淀殿のお父さんである浅井長政の身長も180cmほどだったらしいので、秀頼の身長は母親側の血筋を引き継いだともいえるでしょう。
秀頼が高身長だったから豊臣家が滅んだ!?
豊臣秀吉が亡くなった後、天下を狙っていた徳川家康は、豊臣家をうまく取り込みながら天下取りを狙っていました。
そこで、秀吉の子である秀頼と対面することにしました。
ところが、二条城で秀頼と対面した家康は驚いてしまいます!
目の前に身長197cm、体重161㎏の巨漢の秀頼が現れたからです。
当時の家康の身長は159cmほどだったといわれていますから、自分よりも40cmほど高い秀頼を見て驚いたのも無理はありません。
そして、そんな秀頼の姿を見た家康は考え方を変えます。
「このまま秀頼が立派な大人になったら、今後自分の脅威になるのは間違いない!」
そう感じた家康は豊臣家を滅ぼすことを決意します。
この出来事がきっかけで、大坂の陣が始まるのです。
逆に、秀頼が小柄な体格だったら、大坂の陣は起こらなかったかもしれませんね。
また、大坂夏の陣でも秀頼の巨漢が災いした出来事がありました。
苦戦を強いられていた豊臣軍は、味方の士気を高めるために秀頼の出馬を願い出ます。
そこで、秀頼は颯爽と出馬しようとしますが、あまりにも巨漢だったため馬に乗ることができず、出馬はあきらめて再び大阪城に戻っていってしまったそうです。
これにより、豊臣軍の士気は上がらず、そのまま敗戦してしまいました。
ここでも、秀頼の巨漢が仇となってしまったのです。
NHK大河ドラマは巨漢の秀頼を忠実に再現
NHKの大河ドラマでも豊臣秀頼は頻繁に登場しています。
以下、大河ドラマにおける秀頼役をまとめてみました。
作品名 | 俳優 | 子供~少年時代の俳優 |
第3作「太閤記」 | 上田 英代 | |
第16作「黄金の日日」 | 柏木 寅章 | |
第19作「おんな太閤記」 | 井上 純一 | |
第21作「徳川家康」 | 利重 剛 | |
第25作「独眼竜政宗」 | 山下 規介 | 井上 飛敏、石井 保 |
第27作「春日局」 | 渡辺 徹 | 寺沢 和也、長谷川 宙、小磯 勝弥 |
第39作「葵 徳川三代」 | 尾上 菊之助(5代目) | |
第45作「功名が辻」 | 石黒 英雄 | 丸山 歩夢、広田 亮平 |
第48作「天地人」 | 中村 倫也 | 伊藤 悠翔、小林 海人、吉岡 澪皇 |
第50作「江~姫たちの戦国~」 | 仲野 太賀 | 須田 琉雅、黒澤 宏貴、武田 勝斗 |
第53作「軍師官兵衛」 | 葉山 奨之 | 小美野 来希 |
第55作「真田丸」 | 中川 大志 | 鳥越 壮真、石田 星空 |
そのほとんどが高身長な役者さんが演じており、史実を忠実に再現されているようです。
なかでも「春日局」の秀頼役を演じた渡辺徹さんはかなりイメージに近いかもしれません。
まとめ(超個人的見解)
「実は秀頼は秀吉の子ではなかったのでは?」という説は、実はかなり信憑性があります。
秀頼が生まれた時期は豊臣秀吉が57歳とかなり高齢であることや、秀頼が生まれる10ヶ月前に秀吉と淀殿は同じ場所(肥前名護屋)にいなかったことなどから、そのような説が生まれました。
さらに、今回説明した通り、秀頼と秀吉の体格があまりにも違い過ぎる点も「実子ではない説」を強く後押しします。
つまり、秀頼と秀吉は血がつながっていなかったということです。
しかし、当時は「血」はあまり重要視されていませんでした。
血がつながっていない親子関係も多かったですし、何よりも秀吉が「自分の子だ!」と明言していたわけですから、秀頼が正当な嫡男であることに変わりはありません。
そんな秀頼は、プロレスラーや力士に匹敵するほどの巨漢でした。
そして、巨漢であったことにより家康から敵視され、秀頼の運命は変わってしまいました。
しかし、秀頼は現代においても常に注目され、愛され続けています。
それは、秀頼が巨漢だったことが注目される要因の1つになったのは間違いありません。
「400年も前にそんな大きな人がいたの?」と、いつまでも興味が尽きないのです。
秀頼は巨漢だったからこそ、永遠のヒーローになったのかもしれませんね。