【幕府とは?】当時の人々は「幕府」と呼んでいなかった!?

【幕府とは?】当時の人々は「幕府」と呼んでいなかった!? 歴史ミステリー(その他)

【幕府とは?】当時の人々は「幕府」と呼んでいなかった!?

「幕府」といえば「鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府」を思い出す人が多いと思います。
その中の例えば、江戸幕府は徳川将軍を頂点とした政治組織であり、その支配地である江戸(東京)全域のエリアを「幕府」とイメージする人が多いのではないでしょうか?

源頼朝が開いた鎌倉幕府、足利尊氏が開いた室町幕府、徳川家康が開いた江戸幕府

ちなみに、ウィキペディアでは「幕府」を以下のように説明しています。

『幕府は、将軍の任命を受けた者が、朝廷の外にあって、朝廷のために活動するために設けた役所。将軍府(しょうぐんふ)または軍府(ぐんぷ)ともいう。』

私たち現代人にとって「幕府」は歴史の事実であり、当たり前の言葉ですが、驚くべきことに当時の人たちは「幕府」とは呼んでいませんでした。

それでは、現代の私たちがイメージする「幕府」と同じ意味をもつ言葉は何だったのか?といいますと、江戸時代には「公儀(こうぎ)」と呼ばれていました。

× 幕府 ○ 公儀

「公儀」とは読んで字の如く、私事でない公的な事柄を指す言葉です。
古くは「武家」に対する「公家」を指す言葉でしたが、室町時代以降権力の移動に伴って「武家」を意味するようになりました。
さらにその後、江戸時代には「世間・世の中」も意味する言葉となり、やがて徳川政権を「公儀」と呼ぶようになったのです。

ちなみに、将軍のことは「公方様(くぼうさま)」と呼んでいました。

当時「幕府=将軍が住んでいる屋敷」だった

それでは、当時の世の中には「幕府」という言葉はなかったのか?といいますと、そんなことはありません。
当時の世の中にも「幕府」という言葉はありましたが、現代の私たちが認識する「幕府」とは異なる意味で使われていました。

当時「幕府=将軍が住んでいる屋敷」でした。
例えば、当時の人たちは「幕府」を↓このような表現で使用していました。

「御家人が幕府に挨拶にやってきた」 「幕府で和歌の会が行なわれた」 「幕府が火事で燃えたので、造りなおした」

このように、幕府は「政治組織」や「エリア」ではなく、「建物」を表わす言葉だったのです。

これは、鎌倉幕府の時代から同じ認識でした。
その証拠に、鎌倉時代の歴史資料で有名な「吾妻鏡」にも、「幕府=将軍(源頼朝)の屋敷」であることが記されています。

源頼朝の屋敷(現在の神奈川県鎌倉市)が幕府だった!


「幕府」と呼ばれるようになったのは幕末の頃から

それでは、一体いつから「鎌倉幕府」や「室町幕府」などと呼ばれるようになったのか?といいますと、江戸時代の終わり、つまり幕末の頃からです。
先ほども書きましたが、当時の人たちは現代でいう「幕府」のことを「公儀(こうぎ)」と呼んでいましたが、藤田幽谷や藤田東湖ら水戸学の人たちが次のように述べたのです。

将軍はあくまでも朝廷の許可のもとに存在する役職であり、真の「公儀」=朝廷である。 これに対して、徳川の政治体制を「幕府」と呼ぶことにしよう。

(余談ですが、この水戸学の思想がその後「尊皇攘夷運動」となり、激動の幕末に突入していくことになります)

これにより、当時の武士の政治体制を「幕府」と呼ぶことが一般的になりました。
つまり、「鎌倉幕府」や「室町幕府」などという呼び方の意味は、幕末の頃「後付け」で決まったということです。

でも、それによって、例えば現代の中学生たちの教科書には「鎌倉幕府の仕組み」などと記されることになり、かなり理解しやすくなりましたよね。

織田信長の「織田幕府」、豊臣秀吉の「豊臣幕府」がないのはなぜ?

3大幕府といえば「鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府」を指しますが、日本の歴史を振り返ると織田信長や豊臣秀吉も天下統一を果たしました。
そこで、なぜ「織田幕府」「豊臣幕府」という言葉はないの?と疑問に感じる方もいるかもしれないので、解説しておきます。

織田信長の「織田幕府」、豊臣秀吉の「豊臣幕府」と呼ばれないのはなぜ?

基本的に「幕府=征夷大将軍の政府」と考えれば、織田信長や豊臣秀吉は朝廷から征夷大将軍に任命されていないので、彼らの政治体制を幕府と呼ぶことはできません。

もう少し詳しく説明すると、織田信長が活躍した安土時代は中央政権がなく、各地の大名が自治政権を行なっていますし、豊臣秀吉が活躍した桃山時代は天皇が政治を行なっています。
秀吉は関白になりましたが、関白は天皇の部下のような存在なので、秀吉が政治を行なったわけではありません。

これに対して、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏、江戸幕府を開いた徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任命され、天皇に代わって政治を行ないました。
だから、日本の歴史の中では「鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府」だけが「幕府」といえるのです。

まとめ(超個人的見解)

というわけで、当時の人々は「幕府」という呼び方をしていませんでした。
「幕府」はあくまで江戸時代の終わり、つまり幕末に定義づけされた言葉だということです。
ちなみに、「鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府」から現代までの年数をグラフに表わしてみると↓このようになります。

鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府 年表グラフ

江戸幕府が終わってから現代まではわずか150年ほどしか経っていません。
長い日本の歴史の中で考えると、かなり短い期間ですよね。
そう考えると、今後日本が再び「武士の世の中」になって、第4の幕府が誕生しても不思議ではありません。

500年後の未来人から現代を振り返ると、500年後の中学生の教科書には↓このように説明されているかもしれません。

2022年頃の日本はデジタルによる高度文明を築いていましたが、再び日本には戦乱が起こり、4番目の幕府が誕生しました。 まさに、2022年頃は時代の過渡期だったのです。500年後の中学生の教科書

お~~~、怖っ!

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