上杉謙信=女性説|6つの女性説と否定説

上杉謙信=女性説 6つの女性説と否定説 歴史ミステリー(戦国時代編)

上杉謙信=女性説|6つの女性説と否定説

戦国武将の中でも高い人気を誇る上杉謙信が実は女性だった!?という驚きの説があるので説明します。
最初に「上杉謙信=女性説」を唱えたのは歴史小説家の八切止夫氏で、読売新聞の小説「上杉謙信は男か女か」の連載の中で発表しました。

小説「上杉謙信は男か女か」は1983年に単行本として発売されました

それでは一体なぜ、八切氏は「上杉謙信=女性説」を唱えたのでしょうか?
主に6つの女性説があるので、1つずつ説明したいと思います。

【上杉謙信=女性説①】スペインで発見された文書の謎

八切氏は、スペイン内戦の際に使用されたトレドの修道院で15~16世紀の日本について記された文書を発見します。
それは、戦国時代にゴンザレスという人が日本からフェリペ2世に送った書簡で、そこには↓このように記されていたそうです。

上杉景勝は叔母(tia)が開発した佐渡の金を持っている

上杉景勝とは上杉謙信の姉・仙桃院の子供です。
つまり、謙信にとって上杉景勝は「甥っ子」となるわけですが、謙信には姉(仙桃院)以外に兄弟はいませんでした。
そこで、「景勝の叔母(tia)=謙信」だろうという説です。

【上杉謙信=女性説②】謙信は毎月「生理痛」を起こしていた!?

八切氏の説によると、上杉謙信は毎月10日頃に原因不明の腹痛を起こしていたそうです。
この腹痛はかなり激しいもので、戦の途中でもこの腹痛が起きると謙信は陣を引き払って部屋に引き籠っていたそうです。
このように聞くと、女性の生理痛をイメージする人が多いのではないでしょうか?

ちなみに、松平忠明(徳川家康の外孫)が記した「当代記」には「上杉謙信は大虫で49歳で亡くなる」と記されており、八切氏は「大虫=月経の隠語」と推測しました。
事実、福井県越前市に大虫神社という神社があり、女神を祀っていて婦人病の神です。
このことから「上杉謙信=女性」と唱えています。

【上杉謙信=女性説③】上杉謙信の肖像画に違和感あり!?

↓こちらが有名な上杉謙信の肖像画です。

上杉謙信の肖像画

この肖像画は江戸時代に描かれたものですが、無精ヒゲがかなり強調されています。
他の武将の肖像画にはヒゲがないか、あってもしっかり手入れされたように描かれています。
しかし、謙信の肖像画はかなり無精ヒゲが強調されている…。
一方、謙信の最古の肖像画(慶長年間の作)が林泉寺に存在しますが、その肖像画にはヒゲはなく、ふっくらとした頬の女性っぽい顔で描かれています。

上杉謙信 最古の肖像画

1枚目の肖像画は、江戸時代に上杉謙信を男として認識させたい意図があったのかもしれません。
なぜ、そのようなことをする必要があったのか?といいますと、江戸時代は女性の大名が禁じられたため(それ以前は女性の大名は珍しくはありませんでした)、謙信が女性であることを隠す必要があったのです。

事実、上杉家は女性当主であったことを江戸幕府に謝罪したものの、大幅に土地を没収され、米沢藩を30万石に減封しています。
そこで、上杉家は「謙信の代で上杉家は断絶している」という口実で改易となることを恐れ、謙信が女性という証拠となるものを処分し、やや強引に男性に仕立て上げたという説です。

【上杉謙信=女性説④】生涯不犯の誓い=謙信は同性愛者だった!?

上杉謙信は「生涯不犯」を誓ったことで有名です。
「生涯不犯」…つまり、女性と性的行為をしないということです。
僧侶であれば理解できますが、戦国時代は子供をつくって跡継ぎにするのが当たり前の世の中。
それなのに、なぜ謙信は「生涯不犯」を誓ったのでしょうか?
その理由は、謙信が男性を好む同性愛者だったからという説があります。

ちなみに、織田信長は謙信の力を恐れていて、南蛮のマントや洛中洛外図屏風など様々な贈り物をして友好関係を深めていました。
その贈り物の中に「源氏物語屏風」がありました。
ご存知の通り、源氏物語は「恋愛」を題材にした物語で、当時一般的に「源氏物語屏風」は女性に対して贈る贈り物でした。
ということはつまり、謙信は女性であり、織田信長は謙信に好意を寄せていた!?という考え方もできます。

織田信長は上杉謙信に好意を寄せていた!?

また、謙信が女性であれば男性を好むことになりますから、「生涯不犯」という誓いを立てたことも頷けます。
さらに、謙信は上洛した時の歌会などで詠む歌も恋の歌が多かったと言われています。

【上杉謙信=女性説⑤】越後の民謡に残る謙信の女性説

越後のごぜ唄(民謡のようなもの)に謙信が出陣する時の様子を歌った歌がありますが、その中に↓このような歌詞があります。

寅年寅月寅の日に、生まれたまんとら様(政虎=謙信)は、城山さまのおんために、赤槍たててご出陣。男もおよばぬ大力無双

謙信は寅年寅月寅の日の生まれで、上杉政虎と名乗っていた時期がありました。
その政虎(=謙信)が出陣する時に、「男もおよばぬ大力無双」と歌われるということは、やはり謙信が女性だったと考えられます。

【上杉謙信=女性説⑥】謙信の衣類が女性的!?

米沢藩(上杉家)が設立した上杉神社には、謙信の衣類が数点残されており、それらは真っ赤であったり、舶来の生地をパッチワークに仕上げたものがありました。
↓こちらが謙信が着用したものと伝えられる小袖です。

上杉神社に残る上杉謙信が着用したものと伝えられる小袖

赤色が主体で、完全に女性が好む色柄ですよね。
やはり謙信は女性だったのでしょうか!?

八切止夫氏の「上杉謙信=女性説」に対する否定説

ここまで、八切氏の「上杉謙信=女性説」を説明してきましたが、川中島の戦いでは12年間に渡り武田信玄と戦い続けてきた上杉謙信が女性とは到底考えられません。
そこで、八切氏の「上杉謙信=女性説」への否定説をまとめてみました。

【上杉謙信=女性説①】スペインで発見された文書の謎 →【否定説】

八切氏がスペインで発見された文書は、その実在が確認されていません。
また、ゴンザレスが書いた書簡の中に「上杉景勝は叔母(tia)が開発した佐渡の金を持っている」と記述されていたとありますが、スペイン語で叔父は「tio」と書きます。

叔母(tia) 伯父(tio)

叔母(tia)と伯父(tio)…とても似てますよね。
かなり古い書簡なので、八切氏が文字のにじみなどで「o」と「a」を判別できなかっただけという説もあります。
さらに、文書の中に「佐渡の金」とありますが、佐渡金山で金が発見されたのは1601年であり、当時は上杉家の領土ではありませんでした。
上杉家が佐渡を所有したのは謙信の死亡後なので、年代的にも辻褄が合いません。

【上杉謙信=女性説②】謙信は毎月「生理痛」を起こしていた!? →【否定説】

松平忠明(徳川家康の外孫)が記した「当代記」には「上杉謙信は大虫で49歳で亡くなる」と記されており、八切氏は「大虫=月経の隠語」と推測しました。
しかし、そもそも「大虫」という言葉に「月経」という意味や解釈はありません。

似た言葉として「おむし」という単語が月経の隠語にされたという事実はありますが、これは「蒸す」という単語を語源としたもので、「大虫」とは関係ありません。
また、仮に「大虫=月経」である場合、謙信は「月経」で死んだことになりますが、現代医学の見地から月経が直接的な原因で死ぬことはほとんどないそうです。

【上杉謙信=女性説④】生涯不犯の誓い=謙信は同性愛者だった!? →【否定説】

謙信の「生涯不犯」とは「生涯未婚でいる」という意味であり、異性との肉体関係を一切拒絶するということではありません。
事実、京都の遊郭(「遊女」を集めた場所のこと)に遊びに出かけた逸話なども残っています。

また、上杉家の歴史を綴った「上杉家御年譜」によれば、謙信はもともと上杉家の正統な後継者ではなく、前当主である兄・長尾晴景の嫡男が成長するまでの中継ぎ当主だったと記されています。

謙信は兄・晴景の嫡男が成長するまでの中継ぎ当主だった

それなのに、謙信に実子が産まれれば、その後家内部での争いが起こる可能性があり、当主交代が難しくなると判断し、「生涯不犯」を誓ったのです。
「義」や「正義」を重んじる謙信らしい生き方ですね。

【上杉謙信=女性説⑥】謙信の衣類が女性的!? →【否定説】

再び↓こちらの画像をご覧ください。

上杉神社に残る上杉謙信が着用したものと伝えられる小袖

この画像だけを見ると、たしかに女性っぽいイメージがあります。
しかし、現代の私たちの美的感覚と当時(戦国時代)の人々の感覚が果たして同じなのでしょうか?

実は、戦国武将たちはとてもお洒落でした。
例えば、伊達政宗の遺品にはカラフルな水玉模様の陣羽織が残っているし、豊臣秀吉はペルシャ絨毯のような柄が派手な陣羽織が残っています。

伊達政宗の水玉模様の陣羽織 ペルシャ絨毯のような豊臣秀吉の陣羽織

謙信のライバル・武田信玄の遺品にも、今の感覚で女性っぽいと感じられる衣類が残っています。
衣類以外でも、例えば真田幸村の兜はかなりお洒落でかっこいいですよね。(しかも赤色です)
直江兼続の兜なんて、「愛」の文字が入ってますからね。
どれだけお洒落なのでしょうか!

直江兼続の兜 真田幸村の兜 豊臣秀吉の兜

…というわけで、「赤色=女性の衣類」と断定することはできないということです。

その他の反論

謙信は生涯の中で、出家(世俗の生活を捨てて仏教の修行をすること)と還俗(僧侶であることを捨てて在俗者・俗人に戻ること)を繰り返したことでも有名です。
この「出家」は男性でなければできませんし、謙信は女人禁制の高野山に二度登り、清胤の弟子となっていることから、女性であることはまず考えられません。

まとめ(超個人的見解)

八切止夫氏が唱えた「上杉謙信=女性説」と、それに対する否定説を解説してきました。
私の個人的な意見としては、やはり「謙信=女性」はあり得ないと思います。
川中島の戦いでは12年間に渡り武田信玄と戦い続けてきた武将だし、謙信の行動や言動を見ると、常に「義」や「正義」を重んじる、まさに男の中の男と感じられるからです。

川中島の戦い

しかし、歴史に100%はありませんし、八切氏が「上杉謙信=女性説」を提唱することで、いろいろな議論が巻き起こります。
そうやって日本の歴史に興味を持つ人が増えることはとても良いことであり、八切氏がそれを狙って「上杉謙信=女性説」を唱えたのであれば、かなり奥深い人物だなと思います。

また、何よりもロマンがありますよね。
甲斐の虎・武田信玄と戦った越後の龍・上杉謙信が女性だったら、どれほど強い女性だったのか!
ますます夢が膨らみます。

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